彫刻屋さんにとって難しい部類の仕事といえば、まずステンレスの彫刻、切り抜きが一番に挙げられるでしょうか?
ほかにもカーボングラファイトの溝切りやチタンの印章彫刻、ポリカーボネート板のクリーンカット、超硬金型への3D投影彫刻などが挙げられますが、それらは追ってコラムに挙げてゆく予定ですので、今回はステンレスでゴルフ用の名入れマーカーを作る事例をご紹介させてください。
ステンレスの彫刻が難しい理由
ステンレスの彫刻が難しい理由には、主に2つあります。
1. 彫刻中の加工硬化
ステンレスの加工が難しいのは、まず材料の硬さが加工の最中に変化しやすいという特性に起因します。
一般的な彫刻材料は二度三度と加工を繰り返すうちに、だんだん仕上がりが良くなるものですが、ことステンレスに限っては一度加工した部位の硬度が極端に上がることがあり、同じ条件ではもう刃が立たなくなるという不思議な現象が起こります。
この現象は『加工硬化』と呼ばれるものです。
加工硬化は、例えばステンレスの針金を勢いよく曲げると、逆に戻すときはもう硬くなっていて、まっすぐに戻せなかったという経験はありませんか?
同じステンレスの針金でも、ゆっくり曲げた場合は硬くならないのです。
丸砥石やサーメットの丸鋸でステンレス板を切断する場合も同じように、ステンレス板に無理な力で鋸を押し付けた場合、切断部位が黒くなったり赤く焼けたりすると、そこから先を切断することが大変困難になります。
この現象も『加工硬化』によるものです。急激な圧力や衝撃によって分子結合のレベルが変化することで硬さが変わってしまう現象です。
従来ながらのステンレスの切削や切断の現場では、まず切削工具の回転数を落として、油をかけてゆっくり『だましだまし』少しずつ加工するというのが一般的です。
これはよく、「ステンレスが削られていることを気付かれないようにする」ともいわれますが、経験的にはとても時間がかかって生産性の良い方法ではありません。
特に、ステンレス板に一つひとつ違う名前を彫刻したり、深く彫り込んだりする装飾性の高いものには向いていないので、「ステンレスの彫刻はやりたくない」というのが彫刻屋さんの本音でしょう。
2. 構成刃先の発生
ステンレスの加工を難しくさせているもう一つの要素に『構成刃先』の発生があります。
構成刃先とは、削り取った材料の切り粉が加工硬化したまま刃先に焼き付いて、刃物に同化したように取れなくなった状態をいいます。
これを防ぐために、次のようなことが解決策として挙げられます。
- 刃のすくい角を厚くする
- 一回の取り代を少なくして切削送りを早くする
- 加工条件に応じた適切な切削オイルを使用する
当社の推奨する加工方法も、これら研究室で解明されてきた解決策を基礎にしながら、さらに経験的なノウハウを盛り込んだ実践方式で生産性を高めたものですから、ここでご紹介するステンレスの彫刻方法は、自信をもってご紹介できるものです。
ステンレス製のゴルフマーカーの製造
ステンレスの加工品として、ステンレス製ゴルフマーカーの彫刻にチャレンジいたします。
ゴルフマーカーのニーズ
ゴルフのマーカーのニーズとしては、次のようなものがあります。
- 土や砂が着くので、表面に傷が付きにくい
- 泥や水にもさらされるので、錆びない、変色しない
- グリーン上で踏まれたりしないようによく目立つ
- マグネットのクリップが、強くキャッチできるレベルの磁性を持つ
- お土産やプレゼントにも適した、高級感を備える
- 所有者を特定しやすい(例えば個別の名入れなどがしてある)
ゴルフマーカーの用途や目的と併せて、価格とのバランスが取れているものこそが売れ筋商品になるはずです。しかし、ゴルフマーカーはこうしてみると結構、作る側にはハードルが沢山あるものと言えるのではないでしょうか?
ステンレス製にすることでニーズに応えられる
しかし難しい条件が絡み合っていても、一つずつクリアすれば解決はできるものです。
まず①と②のニーズは、ステンレス素材の採用でいきなりクリアできます。ステンレスは傷に強いし、錆びたり変色したりしにくい素材です。
次に、③の「良く目立つ」ためには、単なるステンレスの板では問題がありそうです。そこで、目立つように外周を十二角形のダイヤカット風に面取りしてみました。しかも段取りを減らすために、彫刻に使う刃物でそのまま面取り加工もしています。
④の磁性は、ステンレス素材の中から選定できました。ステンレスは、磁石にくっつかない非磁性体と思われがちですが、材質によっては磁石にくっつく磁性体のステンレスも存在します。
⑤の高級感は、加工精度とデザインの緻密さに左右されるものですが、50,000回転の高周波スピンドルを使用することでクリアできます。
⑥の所有者を特定しやすい外観は、③のニーズとも絡んだデザイン的な要素ですが、「加工硬化」と「構成刃先」を技術的に克服することで可能になります。
高周波50,000回転スピンドル搭載のNCルーターで彫刻
今回使用したNCルーターは、高周波50,000回転スピンドルを搭載したものです。通常15,000回転程度のNCルーターでは、ステンレスの彫刻を行うと超硬バイトの劣化が早いです。ところが、高周波50,000回転スピンドルでは、ステンレスを彫刻して加工硬化や構成刃先の影響を受けにくく、加工時間を大幅に短縮することができました。
こちらの写真は、彫刻前のステンレスの円板です。ステンレス板をパンチングで打ち抜いたものです。
次の写真は、NCルーターで加工を終えたものです。
ステンレスの円板を、3分足らずの彫刻加工を施して表面をヘアラインで仕上げるだけで、高級感のあるゴルフマーカーに生まれ変わります。
こちらの写真は、別の絵柄で50個の注文を3時間足らずで彫刻した時の事例です。
同じ板厚の材料ですから、彫り上がりも全く同じですが、驚くことに使用した刃物は一本だけです。
なんだか出来レースみたいに簡単にゴールインした様に見えますが、このノウハウを習得するまで、長い期間の試行錯誤や開発実験を繰り返しました。彫刻刃による少量多品種生産の好適な事例として、お目にとめていただければ幸いです。
最後にトータル時間が判るように全工程を一本の動画に収めたものをYouTubeに挙げていますのでご覧になってください。